【会期】2025/1/18,25,2/1,8,15,22 15:00~18:00

かつて、「存在論的不安」に支配されていたことがある。かつてと言ったが、それは大体11歳から33歳くらいまでのことで、たったの2年前くらいまでのことだ。不安を感じる度合いはグラデーション。21歳がピークだったように思うけど、正直なところあまり覚えていない。ただ、その頃書いていた文章に「存在論的不安」という言葉が頻出していたことは間違いない。写真を撮るというのは親にトイカメラを買ってもらったりして、幼い頃から積み重ねてきたことだ。シャッターを切るのには「その瞬間」を捉える思い切りの良さが必要。それは銃で打つとか、矢で射るとか、そんなこととよく似ているだろう。「その瞬間」は「その瞬間」にしかなくて、だけど記録するのは60分の1秒の光だったりする。人間の目ってたかがそんなもん、という気がしてくる。見ているのは目ではなく、脳。と、即物的なことを考え出して、不安が増した。そんな時に作ったのがこの写真集のもととなった「フィクション」だった。「彫刻を作りたい」と思うようになったのは触れることの確実さを思い出し、もうそれしか自分の生きる道はないと思い詰めるほどになってしまったからである。今も私は目よりも手を信じている。だけどあの頃と確実に違うのは、当たり前に少しずつ目が悪くなり、見ることの愛らしさ、景色に対して自分が溶けていくような感覚が芽生えてきていることだ。今回の試みはそんな自分の今の気分、なくしていって良かったものを見ること、写真って光の時間のことを言うから、光の再生を、シルク印刷に委ねることでやってみたいと思った。これは私の写真論、呪いがとけた印の旗のような、もの、である。

インタビュー(聞き手:夜明けまではお湯) 
夜明けまではお湯(以下:お湯):「眼前は幸福」はどう読みますか? 
坂本:「がんぜんはこうふく」と読みます。 
お湯:「がんぜん」ですか。ちょっと怖い写真集のように見えますが、どうして「幸福」なのですか? 
坂本:これらはもともと、私が16年前に暗室で焼いた写真をもとにしています。現像過程で色々と試すうちに、人間の眼の個性に思いを巡らせました。 人間の数の倍の数の眼が存在していて、その数だけ像があるのだと思うと、強烈な寂しさを感じながらも満ち足りた気持ちになりました。 
お湯:確かに、そう考えると孤独感ありますね。「たくさんある」から「幸福」なのですか? 
坂本:そうですね、いろいろいっぱいあるのは幸せな感じがします。 
お湯:いろいろいっぱいある中から、これらの写真を編集したのはどのような考えからですか? 
坂本:見えているものは刻々と表情を変えるので、不安定で頼りないと私は思うのですが、たまに驚くほど美しい像に眼を奪われることがあります。 なんでもない写真にも、そんな瞬間がきっとあるのだ、そういう気持ちから暗室で露光時間などを変えて探し出し、集めました。 フィクションでありながら、現実のものすごく美しい瞬間集です。 
お湯:でも、その「美しい」は坂本さんだけのものかもしれませんよね? 
坂本:そう言えるんですが、色々なバージョンを作ることで「たぶんこれは私以外の人も美しいと感じるだろうな」と、人と私の感覚が重なりそうなところを探して作りました。 
お湯:なるほど。この本は写真そのものではなくシルク印刷ですが、どのような意図がありますか? 
坂本:もとになった写真集は16年前に作ったものです。私が本格的に作品を作るようになったきっかけがその写真集で、本にしたいとずっと思っていました。 でも、写真として再現して量産するのは何か違うと放置していたら16年経ってしまい、呆然としていたときにマノ製作所さんに出会いました。 マノ製作所さんのシルク印刷の表情からは手触りが感じられて、もともと細かい網目の布を写真集のカバーにしていたこともあり、イメージにぴったりだと思いました。 全く同じものが2つと無いのも魅力に感じています。 
お湯:そういうことでしたか。坂本さんにとって写真はどのようなものですか? 
坂本:幸せなものです。 
お湯:そうですか。この写真集は坂本さんの写真観そのものなんですね。 
坂本:そうだと思います。 
2024年12月27日
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